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赦し――寛容の精神を


数年前の夏休み、家族で帰省した帰り道で、ファミリーレストランに寄ったときのことです。

 妻と子供たちがそれぞれ食べるものを選び、私はアボカドハンバーグをオーダーしました。食べ終えてコーヒーを飲んでいると、店員が食器を下げにやってきました。そして、私が食べ終えた皿を目にしたとき、なぜか「たいへん申し訳ございません」と謝り始めたのです。なにが起きたのか、理解できませんでした。皿の上には私が取り除いたアボカドの皮があるだけ。尋ねると、本来ならばアボカドは皮を外して提供するものだったとのこと。

 皮付きのアボカドが添えられていることが普通だと思っていた私は、気にするようなことではなかったので、「そうだったのですか。いや、おいしかったし、別段、問題ないですよ」と笑顔で返しました。

 支払いをしようとすると、その店員がレジに立っていて、再び深々と頭を下げます。かえってこちらが恐縮するほどでした。

 最近、ちょっとしたミスをあげつらって、人を責める人を目にすることがあります。スーパーのレジで声を荒げて店員を非難する人、SNSでよってたかって攻撃を続ける人……。

 ミスはないほうがよいのは確かですが、しかし、悪意なきミスをことさら叩いても、叩く人、叩かれる人、その騒ぎを目にして気分を害する人と、誰も幸せになりません。

 先日、ネットで、店員のミスで「肉なしハンバーガー」を出されたロブさんの話を読みました(原文はこちら)。テイクアウトしたハンバーガーに肉が入っていいないことに気づいたロブさんは、客として怒りを持ち、店員を非難したくなります。しかし、過去に自分がしでかしたミスを思い出し、笑い飛ばします。

 ロブさんの文章は、次のように結ばれています。

「シンプルなミスのすべてを厳しく非難する必要はないし、ミスした人をけなす必要もない。誰だって人生のどこかで、ビッグマックに肉を入れ忘れることがある。優しさを持とう」

 ギスギスした空気の中で生活したい人はいないはずです。安全に直結しないようなちょっとしたミスであれば、寛容の精神でスルーし、笑い話にしてしまうことが、かえって社会のためになるのではないでしょうか。

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