他人のせいではあるものの……

ある日、常務に呼ばれて常務室のあるフロアーへ行き、書類を受け取ったときのことです。自分の部署に戻ろうとエレベーター前で待っていたところ、ドアが開くとそこにはなぜか常務の奥様が。
私が笑顔でご挨拶をしようとした瞬間……。
「電話で“ホールで待っているから”と言われたのに、誰もいなかったじゃない。○○社長とのお約束の時間が迫っているというのに。早く社長室まで案内して!」
突然、奥様に叱りつけられました。電話も何も、その日に奥様が来社することすら知らなかった私は、混乱しながらも社長室まで案内しました。
その後、自分のデスクに戻るも、形容しがたい感情に心が包まれ、その日一日、陰鬱とした気分が晴れることはありませんでした。
少し冷静になってから思い当たったことは、他の部署の誰かが、常務の奥様に待ち合わせ場所もしくは時間を間違って伝えたか、奥様自身の記憶違いだったのだろうということです。その時は腹立たしかったのですが、少し落ち着いてから思うところがありました。
状況的に誰かのミスで私が叱られたわけです。その誰かはミスを犯したことを知りません。私も、過ぎたことで犯人捜しをしませんでした。なぜなら、今回と同じように、私の知らないところで私が犯したミスで誰かに迷惑をかけ、私の代わりに叱られた誰かがいるかもしれない可能性に、はたと思い当たったからです。
常務の奥様に叱られたことは、自分への戒めと受け止めて、将来に生かすこととしました。
その出来事に限らず、仕事をしていると、理不尽なクレームをぶつけられることがあります。そんなときには、以下の言葉を思い出し、自分の更なる成長の機会であると捉えています。
苦しいこともあるだろう
云い度いことも阿るだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣き度いこともあるたろう
これらをじつと
古らえてゆくのが
男の修行である
山本五十六
(「山本五十六元帥語録」より)