自己紹介と家族

令和となって数週間が経った頃、河野外相が記者会見で、安倍晋三首相の名前を例に挙げ、姓を先にして「Abe Shinzo」と表記してほしい旨、外国メディアに近く正式に要請する方針を示しました。このニュースを目にしたとき、私には思い出したことがあります。
今から30年ほど前、私はアメリカに留学していました。周囲にはアメリカ人はもちろん、南米系の人やアジア系の人もたくさんおりました。
南米系の人たちは名・姓の順で自己紹介するわけですが、姓・名の順の日本・韓国・中国の人たちがどうしていたかというと、「Shinzo Abe」式の名・姓の順で名乗っていました。
私の姓と名は、アメリカ人や南米系の人にとっては発音しづらいものでした。ゆえに、彼らは適当に略して私を呼んでいましたが、気恥ずかしさもあって、そのニックネームを私自らが名乗ることはありませんでした。
さて、河野外相の記者会見からしばらくして、私はジェイソン・モーガン:麗澤大学准教授のお話を聴く機会を得ました。モーガン氏は冒頭で、こうおっしゃいました。
「日本では、苗字・名前の順で自己紹介を行います。私も日本に来てから、“モーガン・ジェイソンと申します”と言うようになり、最近、そのことについて考えるようになりました。
母国・アメリカですと、“私はジェイソン・モーガンです”と言って、“ジェイソン”という自身の紹介をします。今ここにいる自分が一番大切な存在で、モーガンという家族の名称が後になります。
日本のように、苗字から名乗るとき、自分だけではなく、まず家名を名乗って自分の家族のみんなを含めて、自己紹介するわけです。
もう少し考えると、家族だけではなくて、100年前、200年前の先祖の皆さんを含めて自己紹介することになるかと思います。それは素晴らしい習慣だと感じています」
このお話を聴いたとき、またしても留学中の思い出がよみがえってきました。私がニックネームを名乗ることに抵抗していたのは、気恥ずかしさだけではなく、仰々しい言い方をするならば、一家の誇りと名付け親に対する敬意の表れだったのかと、パズルの最後の1ピースがカチっとはまったような気がしました。
姓・名、名・姓、どちらの順で呼ばれるにしろ、今まで命をつないできてくれた親・祖先と名付けてくれた方の思いをなおざりにすることなく、生きていきたいと思います。