多忙と心の余裕

「現代人の多くは、恐ろしいほどに多忙である」といわれています。仕事に対してもプライベートのお付き合いでも……。日々いろいろなことが起こり、あっという間に時間ばかりが過ぎてしまうという経験は誰にでもあることでしょう。またそのような生活は、一見何か非常に充実した時間を過ごしているかのような錯覚に陥らせるものです。
しかし、多忙であるということの真相をあらためて考えてみると、幕末の大儒・佐藤一斎先生はその著書『言志録』で次のように述べています。
今人率〈こんじんおおむ〉ね口に多忙を説く。其の為す所を視〈み〉るに、事実を整頓するもの十に一、二。閑事〈かんじ:無駄なこと、必要でないこと〉を料理するもの十に八、九。又閑事を認めて以〈もっ〉て事実と為す。宜〈うべ〉なりの其の多忙なるや。志有る者誤って此窠〈このか:この穴〉を踏むこと勿〈なか〉かれ。
換言すると
「今時の人は、口癖のように忙しいという。しかしそのしているところを見ると、実際に必要なことをしているのは十のうち一、二に過ぎず、つまらない仕事が十のうち八、九である。そしてこのつまらない仕事を必要な仕事と思っているのであるから、これでは忙しいのももっともなことだ。
本当に何かをしようとする志のある人は、こんな穴に入り込んではいけない」
と戒めています。
多くの場合、それほど重要ではないような事柄を一人で抱え込んでしまい、結果、それに煩わされているという場合が実に多いようにも感じます。われわれが日常的にそういった些事のためにわが身を縛られてしまうということは、同時に「忙」の定義のとおり、それだけわれわれの精神性というものを傷つけられるとともに、次第次第にその心から「余裕」というものが奪われていってしまっているということにほかならないのではないでしょうか。
われわれは、心の中に余裕というものがあってはじめて、本当に世の中の役に立つことができるものであるし、また物事の事実を透徹することもできるものです。
さらに、「時間」というものは、財力や権力を持った人も、そうでない人も、また、子どもも大人も、社長も社員も……、すべての人に等しく与えられたものです。
時間の使い方を工夫し、心の余裕をもって、人間として正しい時間の使い方を見いだしたいものです。
参考文献:『言志四録』(講談社)、月刊『OAK・TREE』